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東京高等裁判所 昭和28年(ネ)2437号 判決

第一 公文書であるから真正に成立したと認められる甲第一号証(控訴人および被控訴人の戸籍謄本)原審証人大妻コタカ、手塚敏郎、久保田久雄、斎藤好喜、斎藤ハルヨならびに原審および当審(各一、二回)における当事者双方本人の各供述をあわせれば、被控訴人は大妻女学校を経て昭和一二年三月帝国女子医学専門学校を卒業し、医師として東京市神田区駿河台にある東産婦人科医院に勤務していたところ、昭和一三年二月一九日訴外手塚敏郎および同久保田久雄の媒酌により、新潟医科大学生化学教室研究生であつた控訴人と結婚式を挙げ、(当時被控訴人は数え年二三才、控訴人は同三〇才)同年四月六日婚姻届をし、翌七日から控訴人の下宿先であつた新潟市学校町通二番町斎藤好喜方に同棲したが、その後昭和一九年二月下旬、同市旭町一番町八六番地に転居し一戸を構えたこと、その間被控訴人は昭和一三年八月から新潟医科大学附属病院産婦人科に勤務したが、郷里茨城県新治郡石岡町において医院を開業するため昭和二一年一〇月辞職し、同年一一月控訴人と一時別居し、石岡町大字石岡一四九三番地において飯田医院を開業し、現在にいたつたこと、控訴人は昭和一五年八月同大学附属病院柴田内科副手に転じ、その後新潟県長岡市にある新潟県中央病院内科および新潟鉄道病院に勤務したところ、ふたたび右柴田内科にもどつて講師をしていたが昭和二二年一〇月辞職し、右飯田医院に転居し、被控訴人と同棲することとなり、その後昭和二三年二月から国立霞ケ浦病院の内科医長として勤務し、現在にいたつたこと、しかしてその間当事者双方とも新潟医科大学において医学博士の学位を取得し、現に長女紀子(昭和一五年四月一二日生、ただし戸籍簿上同年同月三〇日生)および長男武美(昭和一九年二月二八日生)をもうけていることが認められる。

第二 しかるに被控訴人は、この間に控訴人から被控訴人主張のような虐待ないし侮辱をうけ、このことは婚姻を継続しがたい重大な事由にあたると主張し、控訴人はこれを否認するので以下にこれを検討する。

一 原審(第一回)における被控訴人本人の供述により成立を認める甲第二号証の一、二原審証人斎藤ハルヨ、中山栄之助、手塚敏郎、飯田隆一、大妻コタカ、奥山リウ、大和田のぶ、端田鶴子、野路千代、橋本志げの各証言ならびに原審および当審(各一、二回)における被控訴人本人の供述をあわせるとつぎの事実を認めることができる。

(一) 控訴人は、被控訴人が控訴人と同棲するとき持参した世帯道具を見てつまらぬものを持つてきたとか、古物を持つてきたとかいい、また同棲後間もないころから度々被控訴人にたいし「持参金を持つてくるはずになつていた、持つてこないなら親に話せ」といつた。

(二) 控訴人は同棲後間もないころ、被控訴人が掃除しながら歌をうたつたところ、「いくつになるのだ」といつて叱り、また新潟市旭町一番町八六番地の住所において、紀子が生れてから一年くらいたつて後に、紀子は自分の子ではないといつた。

(三) 控訴人は昭和二〇年中右同所において、食事中子供の食事の仕方がわるいといつて怒りだし、「お前のしつけがよくないからだ」といいながら箸を食卓にたたきつけ、それがはねかえつてたまたまうつむいて茶碗に飯を盛つていた被控訴人の眉間に突きささつたことがあり、またそのころ同所において被控訴人にいいつけさせた自動車が来ないといつてカンシャクをおこし、自宅にあつた日本刀をとつて被控訴人を追つたので被控訴人は子を連れて家を逃げ出したことがある。

(四)(イ) 控訴人は石岡町に転居後の昭和二五年夏ごろ、被控訴人が飯田医院産婦人科診察室において手術中であることを知りながら隣室を走り、そこにある椅子を右手術室の扉に手荒く当て、また(ロ) 同年九月中被控訴人は訴外飯田万之助を診察し、同人に薬を与えたところ、その後控訴人は同患者を診察し、被控訴人の与えた薬は違つているといつて捨てさせたことがある。その他(ハ) 控訴人は同棲後度々被控訴人にたいし、「お前はデレスケだ」といつてののしり、あるいは長女紀子に向つて「お前のおつかあのおつかあはデレスケだし、お前のおつかあもデレスケだ」といつた。

二 控訴人は被控訴人にたいし、以上のような行為をしたことが認められるのであるが、原審証人円城寺仁の証言の一部ならびに原審および当審における控訴人本人の供述をあわせるとこれについてはつぎに認定するような原因があることが肯定される。

(一) 前記一の(一)の事実については控訴人は被控訴人との婚約のとき、兄久保田新一から、「被控訴人の父が被控訴人も控訴人といつしよに新潟医大で研究させてくれ、その間のこづかい銭や食べるくらいはなんとかしてやるといつていた、」とのことをきいているため、被控訴人にたいし右(一)に認定したようなことを口にだしたものであること。

(二) 同(二)の事実中、被控訴人が歌をうたうのをしかつたことについては、被控訴人がはやり歌をうたうので当時の住所は控訴人の勤務先の新潟医大から二、三分の近くであり、被控訴人は後日研究室に入ることになつており、被控訴人がうたうのをきいた学生や研究生がわらうから注意したものであること、また紀子を自分の子ではないといつたことについては、紀子の出産予定日について被控訴人と控訴人との意見があわず、被控訴人のいうとおりであるとすれば、同児は控訴人の留守中に妊娠したことになるからそのようにいつたものであること、

(三) 同(三)の事実中、箸を食卓にたたきつけたとのことについては、控訴人が被控訴人にたいし、子供の食事のしかたがわるいから直すように再三注意したにかかわらず、被控訴人は返事もせず、だまつていたためについ腹を立ててそのようなことをしたのであるが、控訴人はあわてて被控訴人にささつた箸を抜きとり被控訴人もそのとき別にこれを問題とせず、控訴人はこれを後悔して被控訴人の父に言いわけしたところ、父は「自分の若いころにもそのようなことがあつた」といつてとがめなかつたこと。

(四) 同(四)の事実中、被控訴人が手術しているさい控訴人が手術室の扉に椅子をぶつけたとの点については、その日控訴人は勤務先である国立霞ケ浦病院から帰宅後小川町の患者に往診をするため、被控訴人に自動車の用意をしておくようにいつておいて出勤したところ、帰宅してもその用意がなく、内科の診察室で家人に自動車の催促をしたところ、被控訴人はその隣室の婦人科診察室で手術中であり、誰も返事をしないので内科の診察室の椅子を突きとばしたところ、婦人科診察室との境の扉にぶつかつたものであること、また訴外飯田万之助の薬をかえたとの点については、同人は胸部の疾病の患者で内科専門の控訴人がとくにのぞまれてかねがね治療していたものであるところたまたま被控訴人が診察して与えた薬が控訴人の与えた薬とことなつていたので、ふたたび控訴人の処方によるものを投薬したのみであることをそれぞれ認めることができる。

甲第二号証の一、二の記載中、および各証人、本人の供述中以上第一、第二の各認定とかちあう部分はいずれもその反対の証拠に照らし採用しがたい。

三 しかしてこのように控訴人が被控訴人にたいして前記一の(一)ないし(四)の所為をするについては二の(一)ないし(四)のような原因があつたものであるけれども控訴人の右所為が被控訴人にたいする侮辱ないし虐待にあたることはうたがえないところである。しかし右の所為中(一)ないし(三)はいまだ「同居にたえがたい」ほどの虐待ないし「重大な」侮辱とはいいがたいものもあるのみならず、これらのことがあつてから、昭和二六年五月被控訴人が控訴人を相手方として土浦家庭裁判所にたいし、離婚および財産分与の調停申立をするまでに数年の時がたち、その間当事者は夫婦として同棲生活をしてきており、かつ原審における被控訴人本人の供述中にも、控訴人の所為については妻として行きとどかぬところがあつたからでもあるから我まんしようと決心したといい、被控訴人はこれをゆるしたものと認められる、よつてかような事実のもとにおいては、右(一)ないし(三)の事実あることをば、これをもつて婚姻を継続しがたい重大な事由があるとするにたりないと認めるのが相当である。

もつとも被控訴人は右原審における本人尋問において、控訴人にたいし何度か離婚したいといつた、と述べているが、被控訴人の原審および当審における供述全体を通じ、またこれを控訴人本人の原審および当審における供述とあわせ考えると、右のように被控訴人が控訴人にたいし離婚したいといつたとのことは被控訴人夫婦間に争を生じたときにたまたま怒りの感情のたかまりのあまり口外した言葉であると認められ、これをもつてその当時被控訴人が控訴人にたいし真に離婚を求める意思を表示したものと認めることはできない。

また前記一の(四)(イ)、(ハ)の所為はたしかに妻たる被控訴人の人格を軽んじ、はじしめる行為であるけれども、これをもつて婚姻を継続しがたい重大な事由とするに足りないことは論をまたない。また(ロ)の所為は、特定の患者にたいする医療のために必要としてしたところであつて、被控訴人を侮辱する意図に出るものではないと認められ、その際、被控訴人を軽んずる語気の表れたであろうことは推察するに余りあるけれども、善悪の批判はしばらくおき、他人の前では自分の妻をばあまりほめないのが、ふつうの日本人のならわしであるから、この場合もそれが出たのだとみるのが相当であつて、これをもつて婚姻を継続しがたい重大な理由にあたるとするにたりない。

第三 以上の説明により、控訴人の被控訴人にたいする第二、一の(一)ないし(四)の所為あることによつては、婚姻を継続しがたい重大な事由ありとするに足りないことは明らかであるが、なお、被控訴人は、控訴人のかような暴状は日増にはげしく、被控訴人は妻として控訴人にたいする愛情を失つたばかりか、その性格も相容れず、被控訴人はもはやとうてい控訴人と協調融和して夫婦生活をともにすることができないから、控訴人との婚姻関係はすでに破たんを来し婚姻を継続しがたいと主張するのでつぎにこれを審究する。

一 前段に採用した各証拠および公文書であるから真正に成立したと認める甲第三号証、原審証人久保田新一、伊東高麗夫、宮川千代蔵、円城寺仁の各証言をあわせると、控訴人はその性格がやや陰性で神経質であり、日常の家事についても被控訴人の小さな欠点や失敗をとらえて口やかましく小言をいい、しかも短気で怒りやすく、ともすれば被控訴人にたいして腕力をふるいかねない性格であるに反し、被控訴人は陽気、明朗で小さいことにこだわらず、おおまかな、しつかりしたとでもいうべき性格であることが認められる。また控訴人の方は、その育つた生家は農家で、その生活ぶりは質素であつたものと察せられ長兄久保田新一も現に農業を営んでいるという状況であるに反し、被控訴人は元軍医、後開業医として裕福な生活をしていた父飯田信鑑の長女として父母の愛をあつめ、不自由なく育てられたものであることが推測される。かような、当事者らの性格境遇の相違から両人はその長い家庭生活においてなにかと双方の意見、感情にくいちがいを生じて前段認定のように、しばしば争をおこし、その都度女性である被控訴人において痛手をうけ、そのはては控訴人をきらい、同棲をいとう感情を強めたことを認めるに足りる。

二 しかし第三者の作成にかかり、成立を認める乙第五号証の一、二と前記各証拠とをあわせれば、被控訴人らが同棲した当初控訴人の月給はわずか金三十五円であり、これに控訴人の兄円城寺仁から毎月金四十円、被控訴人の生家から時折金五十円ずつの補助をうけながら両人とも辛苦して新潟医大において研究を続け、相ついで学位をえたものであり、今日両人とも相当の医師として公共のため医療に従いながら自らも経済的にめぐまれた生活をなしうるにいたつたことはひとえに夫婦協力一致して同一の目的のために努力した賜であつて、いわばたがいに「糟糠の妻」であり、「夫」であること、またその間家庭にあつては夫婦間の愛情かならずしも冷たからず、紀子、武美の二児をもうけ、控訴人はとぼしい収入のなかから被控訴人の衣料を新調し、被控訴人はまた生家から贈与された金円をもつて被控訴人の洋服代金等を支払うなどのこともあり、被控訴人が右のように学位を取得するについても控訴人が数年にわたり被控訴人を背後から援助した力の軽くないことを被控訴人においても感謝していること、また被控訴人が昭和二一年一〇月父信鑑の死亡により両親を失つて監護するもののいない幼少な六人の弟妹の世話をするために控訴人と一時別居して石岡町の亡父方で開業することになつたについても、控訴人は夫としてこれを承認し、控訴人の兄久保田新一、円城寺仁から金借して被控訴人の開業の準備をし、その後控訴人も石岡町にうつり、国立霞ケ浦病院に勤務するようになつてからは被控訴人の医業や収入をたすけるため、帰宅後および日曜、祭日に患者を診察して医療に従事し、かつ被控訴人とともに両人らの医院建築の敷地を探すなど、被控訴人との共同生活に協力を惜しまなかつたこと、婦人関係その他の品行についても前記第二、一に認定した欠点のほかは、取立てて非難すべきことは見当らないことが認められる。しかのみならず、控訴人が当審において述べるところによれば、被控訴人との家庭生活は離婚問題が起きるまでは楽しいことが沢山あつたとの感想をもらし、被控訴人にたいして終始かわらない愛情をいだいてきたものであることが認められる。

三 かような事実を彼此考えると被控訴人が、控訴人とは性格が合わず、もはや夫婦として生活を共にすることができないというのは被控訴人が控訴人の心のうちにある本当の愛情を理解せず、ただ表面にあらわれた控訴人の性行のみを見てこれを大きく考えすぎた被控訴人の誤解にいでるものと察せられるところ、原審および当審における控訴人本人の供述ならびに原審および当審における被控訴人本人の供述の一部をあわせると、被控訴人は昭和二五年九月以来控訴人との夫婦の交りを拒み、昭和二六年五月一〇日ごろ控訴人にたいし離婚の申出をし、控訴人がこれを拒絶するや同月中土浦家庭裁判所に離婚ならびに財産分与の調停申立をするにいたり、この調停事件は不調になつたこと、および被控訴人がこのような措置をとるにいたつた当時の事情としてつぎのことを認めることができる。

(一) 控訴人は被控訴人が昭和二五年九月夫婦の交りを拒むにいたつた少し前ごろ、勤務先の国立霞ケ浦病院の一患者から控訴人の治療の手落により「ビツコ」になつたことを理由として金百万円の損害賠償を求められたことがあつて、被控訴人にこのことを相談したところ「自分のことは自分で処理したらいいでしよう」というすげない返事をされたことがあり、かような損害賠償を請求されたことが被控訴人の控訴人にたいする不信の念を、一層つよくしたこと。(ただしこの問題は控訴人においてその患者との間に示談解決した)

(二) 当時控訴人と同病院の看護婦長某との間に関係があつて子まであるとの事実無根の評判が立ち、被控訴人は真偽をうたがつて控訴人を非難したことがあること。

(三) 被控訴人が新潟市を引上げ、その生家に帰つて医院を開業して以来は被控訴人夫婦および二児と同居するものは被控訴人の弟妹にあたる信長、成信、正信、光信、恵美子、義信のほか、女中、看護婦、家政婦をあわせ十四、五人の多勢であるところ、その生活費は全く被控訴人の産婦人科医としての収入によつてまかなわれ、被控訴人はこの大家族の生活をささえる柱となり家庭の中心となつていたこと。

(四) これにくらべて病院勤めの控訴人はその収入においてとうてい被控訴人のそれに及ばないのみか、被控訴人との合意上とはいえ、控訴人の収入は控訴人夫妻が他日飯田医院をいでて他に開業する日の準備金として貯蓄され、控訴人においてこれを保管していたため、控訴人は家族らにとり何もつくすところがないと考えられたこと。

(五) 被控訴人夫婦は共稼ぎであり、昼夜とも忙しく次第に二人だけの家庭生活を楽む余裕がなくなつたのに加え、大家族で家庭内が複雑であるため被控訴人の周囲には前記弟妹のほか、同業の医師で被控訴人の叔父にあたる飯田隆一、被控訴人の親戚で媒酌人である手塚敏郎も近所に住まい、知人奥山リウ、家政婦平山満枝もいてこれらの人々が被控訴人と相親しみ、自然被控訴人と控訴人とは離間される状体におかれたこと。

右に認められるいろいろの事情は従来から控訴人にたいする愛情を冷却し、同人を忌避する被控訴人の感情を一層はげしくし、ついに被控訴人をして離婚を決意するにいたらしめた直接の原因といつてよいものと断ぜられる。

四 しかし、もともと被控訴人はその生家をでて控訴人と婚姻したものであり、石岡町に帰つて亡父の経営していた飯田医院を継ぐべき地位にあるものではなく、現在飯田医院において開業している主たる目的は監護者のない弟妹を養うことにあつて、同医院における右被控訴人の生活はたんなる一時的のかりの住まいにすぎない。弟信長、成信らが成長し、独立して医業を営みうるにいたつたあかつきは、ふたたびこの家をいでて他に移らなければならない実情にあり、そのときにおいては控訴人とその二児および一、二の雇人との単純な家庭となり、その場合はやはり控訴人との緊密な家庭を結ばねばならないものであることが明らかである。

しかるに当審における被控訴人の供述(第一回)によれば、その弟信長はすでに日本医科大学の助手を勤め、成信も医科大学を卒業して医師の資格を有するものであり、被控訴人が飯田医院に止まらなければならないという必要はもはやほとんどないといつてよく、被控訴人が他人に嫁した姉としてその家をいで、夫とともに他に暮らすべきときはすでに到来しているものであり、控訴人の勤務地土浦市、その他に本来の住居を定めることはまことにたやすいことと考えられる。

被控訴人は原審及び当審において、被控訴人が控訴人と離婚をしようとする意思は決して一時的の感情にかられたわけではなく、周囲から動かされたものでもない、恩師大妻コタカの教訓により十年間の辛抱にたえたが、控訴人とは性格が合わずとうてい融和のみちがないと述べるけれども以上認定の諸般の事情を案ずれば被控訴人のさような決意は自己の利害、感情のみを本位としたもので相手方たる控訴人の立場を全く無視するものであり、物事を冷静かつ客観的に見た公平、妥当な判断とはいえず、賛成できない。

第四 従来述べて来たように被控訴人夫妻は婚姻後すでに十数年におよび、長い辛苦の後今日にいたつたものであつて、その年令、経歴、職業、健康状体、二児があること、その他以上認定の諸般の事情を参考にするとまずまずつりあつた夫婦であるというべきである。控訴人はその興奮しやすい性質から長い間には妻たる被控訴人にたいし、侮辱ないしは虐待を加え、少なからざる苦痛を与えたこと前認定のとおりであるが、控訴人はその非を改める決意を有すること、被控訴人においても夫につくすところ必ずしも十分でなかつたことを自認していることは、それぞれ前記本人の各供述によつて明かである。双方がともに反省をして、そのほしいままな感情をおさえ、相手の立場をいたわりつつ起居を共にし、かつ現在の飯田医院における仮の生活をやめ、夫妻の家庭を中心とした自らの住居を定めることは被控訴人らとして決してできないことではなく、かような処置に出るならば、夫妻和合協力してその子女の養育に従う家庭の出現を期待し得ないではない。

よつて被控訴人と控訴人との婚姻はいまだ破たんしたものとはいいがたく、被控訴人主張の婚姻を継続しがたい重大な事由あることはこれを首肯しがたい。

本件にあらわれた一切の証拠を総合判断しても右認定を左右するものではない。

よつて被控訴人が控訴人にたいし離婚および離婚の請求原因によつて生じた損害の賠償を求める本件請求は、以上説明するもののほか、控訴人の主張について判断するまでもなく失当であるからこれを棄却すべきものである。

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